下田和美プロフィール
下田和美プロフィール
□東京都足立区出身、8歳の時より父にいざなわれて碁石を握る
□以来父の強く厳しい指導のもと、修学旅行に行くことも出来ずひたすら囲碁一本鎗の人生を歩み続ける
□少年少女囲碁大会優勝、国際アマペア囲碁JAPANカップ優勝、世界戦4位となる
□ANAインターコンチネンタルホテル・ダイヤモンド囲碁サロンにて15年間囲碁講師をつとめ、小沢一郎氏、渡辺淳一氏など著名人を指導し、人気を得る
□囲碁将棋チャンネルの番組レギュラー出演182本収録。人気を得ている
私の囲碁への想い
私は囲碁を通して人々を幸せに導きたいと思っています。
赤坂なでしこサロンは皆さんのオアシスにしたいのです。そして心のレベルの似通った人々が集い、その縁と絆の輪が広がっていくことを祈っています。
私の名は「和美」です。〝和〟つまり日本の〝美〟と書きます。私はおばあちゃん子でしたからおばあちゃんと共に暮らし、日本人として美しい心や文化について身体の中に染みついています。その視点から見て今の日本は日本人としての美しい心や文化を失いつつあることに危機を感じている者の一人です。
ここ〝文化の地〟赤坂で囲碁のみならずこのサロンを通じて和の心を行じる人や和の文化を好む人のつながりを創っていけたら幸せなことだと思っています。
〝和〟の文字を核として自分の使命、天命にめざめた私はこの私にしかできないこと、この赤坂の地にしかできないことは何かを常に考え、そのミッションを果たしていきたいと思います。
こうした想い(夢・志)に共鳴共感する皆様のご支援、ご協力を願い、ぜひ赤坂なでしこサロンの会員になっていただきたいと願っております。
私の囲碁人生は
私は8歳の時より囲碁一本で生きてきました。中学校も半分くらいしか出席していません。修学旅行に行くこともなく、一途に囲碁に生きてきました。
私の才能を見た父が私を一流のプロにしようと夢見てまるで浜口京子のお父さんのアニマル浜口のように厳しく囲碁のみに私を集中訓練させてきたのです。
小学校の時からのお年玉も使う時間も取れず、ただ預金通帳に貯まるのみでした。そのおかげでこのタワーマンションにも入ることができたようなものです。
お陰様で少年少女囲碁大会では優勝することができました。国際アマペア囲碁JAPANカップで優勝し世界戦では4位となることができました。
その後の人生にはここでは表しきれぬほどいろいろなドラマがありました。
囲碁界のしくみの変化により、プロへの道を断たれた私は苦難の日々を過ごします。そして師のすすめで囲碁の指導者への道を歩むことになるのです。
勤務したダイヤモンド囲碁サロンでも五面打ちは日常の日々であり、時には二十七面打ちまで行う指導者としての修行の道が待っていました。
眠れぬ夜も、奥歯が割れるような悔しい思いの夜も重ね、〝下田先生人気〟を得ていくことになります。
おかげさまで政治家小沢一郎氏や失楽園の作家渡辺淳一氏など著名な方々の指導を続ける幸運にも恵まれました。
そしてついに令和2年2月2日に独立し、赤坂の地で志の旗をあげると同時にコロナがやってくるという波乱の幕開けとなったわけです。